ダイヤモンド輸入卸業

EIWA HISTORY

英和貿易が「中川商店」として創業したのは、明治時代の産声が上がったばかりの時であった。江戸時代より貿易港として栄えていた横浜に本拠を置き、珍しい舶来品から日常の質草を預かり、資金を融資する質店として営業を行っていた。折しも文明開化の波に乗り、西洋の文物やそれまで見ることのなかった宝飾・貴金属類が巷に登場しはじめた。

質店にとっては「モノの価値を見極める」ことこそが生命である。自然と宝飾の価値を正しく判断する目も養われていく。

そんな庶民の安心安全な金融システムを司り、順調に家業を伸ばしていった中川商店であったが、まさに大地を揺るがす大事件が起こる。1923年の関東大震災である。そして時代はさらに暗黒の戦争時代へと突入していく。甚大な被害を被った中川商店であったが、幸いにもその命脈は途絶えることなく戦後の復興期を迎えた。

当主は三代目中川英樹へと変わっていた。震災や空襲の大火で、質店の金庫である蔵が焼けた際、唯一燃えずに残ったのは、貴金属や宝飾品であった。そんな体験を元とし、高度経済成長後の時代を読み1977年新たに興したのが英和貿易である。それまでの家業で培った「宝石を鑑定する目」、長年の客商売で養った「対応力」、「進取の精神」を武器にダイヤモンド市場に出ていく。ときに日本は経済大国の道を歩んでいる最中、国内のダイヤモンド保有量も世界第二位へとかけ上がっていく途上にあった。

英和貿易は、ダイヤモンドの価値を評価する4Cの中で唯一人間の手のよりつくり出すことができる「カッティング」に注目した。英樹は、単身イスラエルへも赴き、もちまえの交渉力で、新たな契約を次々と結んでいった。英和貿易には、世界でも最新鋭の研磨機械と研磨のノウハウが揃っていくことになる。

その後は一貫して「良質なダイヤを日本人の繊細な技術で磨き上げる(研磨する)」ことをモットーに、今日を迎えている。最高のメークのダイヤを安定してつくるために、日本以外にもタイへと自社工場を拡大する。そして現在の当主は4代目の中川祐が担っている。中川商店の伝統を引き継ぎながらも、次世代の英和貿易をつくりあげるべく奔走中である。